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2009-07-20

『素数たちの孤独』パオロ・ジョルダーノ を読んで


素数たちの孤独(ハヤカワepiブック・プラネット)素数たちの孤独
(ハヤカワepiブック・プラネット)
パオロ・ジョルダーノ(著)
飯田亮介(訳)

souiunogaii評価 

内容紹介
イタリア文学最高峰素ストレーガ賞受賞作。
若き物理学者が描く、至高のラブストーリー。

心に深い傷を負った天才青年マッティアと片脚が不自由なアリーチェは、運命的に出会った。他者を避け孤独に生きる2人は、喧嘩が絶えなかったものの、互いに寄り添い、ともに大人になった。だがやがて、ささやかな誤解が2人の恋を引き裂き、2人は離ればなれに。やがて9年の時を経て、ふたたびめぐり会うが……。
もくじ
雪の天使 (1983)
アルキメデスの原理 (1984)
肌の上とすぐその下 (1991)
別の部屋 (1995)
水のなかと外 (1998)
ピントをあわせて (2003)
後に残るもの (2007)

本が好き!より献本。

イタリアを代表する文学賞にストレーガ賞というのがあるそうで、2008年度の受賞作が、今回読んだ『素数たちの孤独』です。
著者はパオロ・ジョルダーノ、26歳。(歴代最年少での受賞だとか)
しかも本職は素粒子物理学者で、本作品が小説家デビュー作となるというから、何だかとってもすごいことみたいだ。
本国イタリアでは120万分を超えるベストセラーを記録し、30カ国以上で発売される予定で、さらには映画化も決まっているとか。

物理学者が書いた物語で、タイトルに"素数"なんてあるから、サイエンス的な要素のある物語かと思いきや、まったくそうではなく、完全に純粋なラブストーリー。
主人公の男女2人、マッティアとアリーチェはとにかく純粋で不器用で繊細で、そんな2人の恋の物語は、もう切なくて苦しくて、こんなに美しい感動を味わえる物語に久しぶりに出会った気がする。

物語の舞台は、イタリア(トリノ)。
もくじにもある通り、1983年から2007年までの時系列に沿って語られるストーリーは、マッティアとアリーチェのそれぞれの視点を交互に描きながら展開されていく。
マッティアは、幼いころに双子の妹を自分の責任で亡くしてしまい、それから自傷を繰り返すようになる。
アリーチェもまた、幼いころのスキー事故で片脚の自由を失ってしまい、拒食症に悩まされている。
家族や友人との交流を極力避け、自分の中に閉じこもり、孤独に生きる道しか選べなかった2人が出会い、互いに魅かれ合う。
大学一年の時の授業で素数の一部にさらに特殊な数があることを知った。それは数学者たちが"双子素数"と呼ぶもので、隣りあったふたつの素数、いや、より正確に言えば、ほとんど隣りあった素数のペアのことだった。ここで"ほとんど"と言うのは、このふたつの素数の間には必ずひとつの偶数があって、両者が本当に触れあうことを妨げているからだ。(中略)
僕とアリーチェは双子素数と同じだ。マッティアはそう思っていた。どちらも孤独で途方に暮れていて、ふたりはお互いに近くにいるけれど、本当に触れあうにはなお遠すぎる。

マッティア、アリーチェそれぞれの、両親との関係も幼いころの悲劇的な出来事のために、どこか壊れている。
また、マッティアの大学での友人との関係や、アリーチェの周りに現れる男性の存在もまた、2人の関係の不器用さをより強調するように描かれていて、悲しく切ない。

そして、物語のラストシーンは、近くにありながら永遠に触れることのできない"双子素数"のような2人にピッタリのもので、おもわず目が潤んでしまう。
そして、明確な答えこそないものの、ほのかな希望らしきものが見えたところで小説は幕を閉じる。  
だが、ふたりの物語は読者のなかでさらに続いてゆくのではないだろうか。優れた作品ではしばしばそういうことが起こるものだ。
素数たちの孤独 訳者あとがき:モントットーネ村から

どうか、マッティアとアリーチェには、今後も強く生き続けて欲しいと、そう願おう。

こんなにも綺麗な物語を読むことができたことに、とても満足したと思える一冊。

素数たちの孤独 訳者あとがき:モントトーネ村から(訳者:飯田氏のブログ)


La solitudine dei numeri primiLa solitudine dei numeri primi
(Mondadori)
Paolo Giordano




2008-11-29

『Tiny, tiny タイニィ・タイニィ』濱田順子 を読んで


Tiny, tiny(タイニィ・タイニィ) (河出書房新社)濱田順子Tiny, tiny(タイニィ・タイニィ)
(河出書房新社)
濱田順子


souiunogaii評価 ハート3つ

内容紹介
“わたし”と“ぼく”と“オレ”――
三人の高校生のひと夏を描きつつ、この時代の真の絶望を淡々とうたう、
第36回文藝賞受賞の傑作。
いきなり芥川賞候補になった話題作。

奈美と大森と山崎と、高校生の男女3人の物語。
舞台は、震災後の神戸。
100ページちょっとの短い小説。
場面ごとに、1人称になる人物が交代していく構成になっていて、
それぞれの目線を感じることができる。

過食・嘔吐、同性愛、被災、それぞれに特別な想いを持った高校生3人。

文章は、読点が少なくて一文が長いために、最初はすこし違和感があるかもしれないが、それも慣れてくると逆に面白い。

淡々とした雰囲気が続く中での、登場人物たちのちょっとした心情の移り変わり、心の動きが見える部分での表現はやはり絶妙で、はっとする。

姉妹小説である『ラブリー』も読んでみたい。

ラブリー (河出書房新社)濱田順子ラブリー
(河出書房新社)
濱田順子
2007-12-26

『DSJ―消える街―』ふかわ りょう を読んで


DSJ―消える街― (宝島社)ふかわ りょうDSJ―消える街―
(宝島社)
ふかわ りょう


souiunogaii評価 ハート3つ

内容紹介
メンズファッション誌・smartで約1年間連載されたふかわりょう初小説が、書き下ろしの完結編を加え単行本化!
物語の舞台はどこにでもあるような平凡な街。その街から、ある日を境に少しずつ何かが消えていく……。
魅力的な登場人物、テンポのよい会話、そして不思議な余韻と後を引くストーリー展開に、連載時にもハマる人続出!!
一話完結だった連載『消える街』に加え、連載で明かされなかった「街からモノが消された理由」、そして「消した正体」がついに明かされる、書き下ろしの『DSJ』を収録。

芸人ふかわりょうの小説デビュー作である。
最初は、「え、ふかわりょうって小説も書くの?」と驚き、ほぼ興味本位100%でこの本を手に取ったのだけれど、読み終わってまた驚いた。
ふかわりょうにこんな才能があったとは、まったく感心するばかりだ。

作者が芸人であることを忘れて、新人作家の作品として読んで十分に楽しめるものに仕上がっている。これはすごい。

『DSJ―消える街―』というタイトルからも想像できるかもしれないが、内容は現代SF小説だ。
オムニバス的に描かれたいくつもの物語を、パズルのピースのようにつなぎ合わせていき、最後に用意されているひとつのゴールにたどりつく。
そういう構成を、第1章と第2章とで2回繰り返すのが面白い。
第1章で物語りは一旦は結末を迎えつつも、多くの謎を残している。
それを第2章で全て解き明かしていく。

主人公が誰なのか、読みはじめでははっきりと分からないほど、登場人物は多い。
そして文章の90%以上は会話文で書かれている。
会話文だけなのに、人物のキャラクターをそれぞれしっかりと描き上げ、情景までも表現している。
こういうあたりは、やはり日頃しゃべることが主な表現方法である芸人ふかわりょうならではの書き方なのかもしれない。
「おじさんって学生?」
「そう、おじさんじゃないけど」
「大学生?」
「うん」
「え、どこどこ?」
「東京大学」
その言葉を聞いたとたん、彼女の目の色が変わった。
「えっ?東京大学って、あの東京大学?!」
「そうだけど」
「東京の大学とかっていう寒いやつじゃなくて、ほんとに東京大学?!」
「そんなに驚く?」
「おじさん、すごいじゃん!アタマいいんじゃん!」
「おじさんじゃないんだけど……」
照れを隠すように、彼はコーヒーを飲んだ。
「私そういう人待ってたの!なんかそんな気はしてたんだ、貧弱な感じがさ。ねぇ、家庭教師やってよ!」

200ページもある小説だけれど、ほぼ一息であっという間に読み終えてしまった。
とにかく面白かった。

ふかわりょうのファンの人はもちろん、そうでない人もきっと楽しめると思う。
ぜひ、一読をおススメしたい一冊。

次回作にも期待したい。

ふかわりょう公式サイト Happy Note
無駄な哲学 (ゴマブックス)ふかわ りょう無駄な哲学
(ゴマブックス)
ふかわ りょう
2007-11-17

『コップとコッペパンとペン』福永信 を読んで


コップとコッペパンとペン (河出書房新社)福永 信コップとコッペパンとペン
(河出書房新社)
福永 信

souiunogaii評価 ハート2つ

内容紹介
一行先も予測できない!
母から娘へ――娘から息子へ……
赤い糸がつなぐ現代家族の非人情物語を描いた表題作を含む、短篇3本に書き下ろしを加えた著者6年ぶりの大暴走小説集。阿部和重氏推薦。

もくじ
コップとコッペパンとペン
座長と道化の登場
人情の帯
2

いやいや、これはどんな言葉で表現したらいいのか、
そう「まるで場面が次々に移り変わり、あれ?が連続する、まさにそんな夢を見ているような」そんな感覚に捕まってしまった。

一読しただけでは、―いや、繰り返し読んだとしても―意味を把握できないというか、
蜃気楼のように、見えているのに手で触れることができない、というか、
実に不思議な世界観だ。しかし、私はこういうの、嫌いじゃない。

文体は挿入文(英語の論説文を日本語に訳したような)が多く、登場人物の描き方も、セリフも、ストーリーも、今までに私が読んだことのない種類のものだった。

一行一行のつながりが、散文という世界で、どこまで飛ぶと、意味まで飛んじゃうか、意味まで飛んだとして、それはどんな状態か、どんな光景が見えるのかというのを自分で試しながら書いてったものですね。みずたまりを飛び越えたその足で、次に、ビルとビルのあいだを飛んでやろうと、文字通りの無謀な飛躍をもとめるみたいなものです。ほんとにそんなことすれば死んじゃうわけですが、言葉の上でなら、みずたまりを飛ぶことができればビルとビルのあいだも飛ぶことができる。
福永信『コップとコッペパンとペン』刊行記念特別インタビューより

この本の魅力を分かってもらうには、もう実際に読んでいただく他に方法がない。
2007-11-04

『百人の王様 わがまま王』原田宗典 を読んで


百人の王様 わがまま王 (岩波書店)原田 宗典百人の王様 わがまま王
(岩波書店)
原田 宗典

souiunogaii評価 ハート2つ

内容紹介
奇才・原田の待望久しい書き下ろしは、すべての挿画を自ら描いた、王様が主人公の2つの世界。
「いずれもこうして本にしてみると、単なる子供向けの童話ではなく、かつて子供だった大人向けの寓話、といった仕上りになったようです。どうぞ、まず大人の貴方からお楽しみ下さい」
原田ワールドの新しい地平がここから広がる。

大人も読める絵本。たまには、こういう本も良いなと。

「百人の王様」は、国民全員が王様というヘンテコな国に、一人の旅人が来て…。
「わがまま王」は、ありとあらゆる全てを自分のものにしようとした王の顛末。

両方とも、最初の数ページでラストが予感できる簡単なストーリーなんだけれど、でも抱えてるテーマは深い。

作者自身が描いたという挿絵も、また良い。
(小さい子供が見たら泣きそうな絵だけど)

はらだしき村(原田宗典 公式サイト)
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