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『世界がもし100年の物語だったら』リチャード・マクドナルド を読んで[2007-11-15]
『戦争を知らない人のための 靖国問題』上坂冬子 を読んで[2007-09-22]

2007-11-15

『世界がもし100年の物語だったら』リチャード・マクドナルド を読んで


世界がもし100年の物語だったら (夏目書房)If the world were a 100 years storyリチャード・マクドナルド(抽出), 宮田炳午(訳), 佐藤ヤエコ(絵)世界がもし100年の物語だったら
If the world were a 100 years story
(夏目書房)
リチャード・マクドナルド(抽出)
宮田炳午(訳)
佐藤ヤエコ(絵)

souiunogaii評価 ハート2つ

地球の誕生から生命の出現、人類の歩み……そして、2001年9月11日。
地球の時間を100年に置きかえてみると、違った世界が見えてくる。
美しい絵でたどるコンパクトな絵本。

46億年前、宇宙に地球という星が誕生してから現代までの、この世界の歴史を100年間に縮めて語ってみよう。
このプロジェクトは、アメリカのある小学校の先生と生徒の間でのEメールから生まれたそうだ。

本書はその内容をそのまま絵本にしたもの。

46億年という、その長さが想像できないくらいの歴史を、100年間というタイムスケールに直してみると、なるほど、そこには従来の考え方では得られなかった新たな認識をたくさん見つけられた。

海で最初の生命が生まれ、恐竜の時代、マンモスの時代と順にページを繰っていくのだが、人類の登場がこんなにも終わりに近い時期だったのかと、(よく考えれば当然のことなのに)正直驚いてしまう。

アフリカでヒトの祖先が誕生したのが99年目の12月。
人類史は、100年間のうちのたったの1ヶ月しかない。
12月31日の午後10時58分にキリストが生まれ、11時58分18秒に原爆投下、11時59分1秒にアポロ11号月面着陸。
科学技術の発達と戦争の歴史は、秒刻みで進む。
地球号のこれまでの生涯を100年に置き換えてみると、最後の1日で地球号の生命力は危機に瀕することになったのです。真夜中のわずか15分の間に、地球号は失速し遭難する危機を迎えることになりました。はたして夜明けはおとずれるのでしょうか?

佐藤ヤエコさんの、水彩絵の具で描かれたやわらかい絵が、また素敵だ。
2007-09-22

『戦争を知らない人のための 靖国問題』上坂冬子 を読んで


戦争を知らない人のための靖国問題 (文春新書)上坂 冬子戦争を知らない人のための 靖国問題
(文春新書)
上坂 冬子

souiunogaii評価 ハート2つ

世間で話題になっている問題について、本当は知らないのに、知っているふりをして、その是非を語ってしまうことが、恥ずかしながらよくある気がする。
(最近で言えば、朝青龍問題、自民党総裁選、光市母子殺害事件の裁判など)
しかし、中にはその歴史、当事者・関係者の想いなどについての深い知識がないのに、安易に表面的な理解“イメージ”だけで是非を語ってはいけない問題だってある。
いまや、戦争を知らない世代が80%を占める時代となった。
戦争も、戦時下の緊張も、靖国神社なるものが戦時下で果たした役割も、まったく知らない人が圧倒的多数を占めているときに、参拝を続けたほうがいいか、悪いかと問い掛けることにどれほどの意味があるというのか。

本書のタイトルの通り、私は戦争を知らないし、靖国神社についても、ほとんど何も知らなかった。学校ではそんな授業は無かったし、他に靖国問題について教わる機会もなかった。
自らが求めて知ろうとしなければ、ずっと知らないまま終わってしまう、そういうものがこの世界にはたくさんある、そのことを今さら再確認させられた。
もくじ
第1部 靖国神社は日本人にとってどんな存在だったか
第2部 敗戦で立場を失う
第3部 日本人は加害者か
第4部 東京裁判とA級戦犯
第5部 無知がまかり通っている
第6部 裁いた側の異色
第7部 裁かれた側の異色
第8部 戦犯問題、ここがポイント
第9部 日本から戦犯が消えた日
第10部 近隣諸国の感情か、内政干渉か
第11部 靖国神社はいまのままで存続可能か
第12部 靖国問題決着のために
第13部 論拠のはっきりした政府声明を

この本を読んで、「自分がいかに無知だったのか」をあらためて確認できた。
小泉首相が参拝し、メディアがそれを大きく採り上げ、TVでは多くの人が意見を言っていた。
私も一時期はそんなTVのコメンテーターと同じように「私はこう思うよ」なんて偉そうに自論を語っていたことがあった。
それがどんなに無意味で恥ずかしいことだったのかに、気づくことができた。

A級戦犯、BC級戦犯、東京裁判、サンフランシスコ平和条約、いくつもの重大な事実を、私はほとんど何も知っていなかった。
しかし、それは「知っていなければいけないこと」と思えるものばかりだった。
戦争が終わってから千人を超える一家の主の命が奪われて、はじめて日本は平和を取り戻したのである。戦犯の命と引き換えに平和がやってきたという以外に表現のしようがない。でなければ、彼らの死は何であったのか。

中国も韓国も、あの時点でサンフランシスコ平和条約の門外漢だったのだから、A級戦犯およびそれにまつわる靖国問題に対する発言権はまったくない。いわば発言失格国である。

最後に著者は靖国問題へのいくつかの提案を行なっている。

「全国民を納得させる慰霊の場とするには特定の宗教枠を外した祈りの場とすべき」
「もし可能なら靖国神社の形式を変えて国家による護持を」
「もしどうしても国立追悼施設を造りたいなら硫黄島の摺鉢山の山頂がいい」
「近隣諸国宛てに日本政府の名に於いて、いまこそ声明書を発信すべき」

私の通う大学から歩いていけるところに靖国神社はある。何度もその前を通ったことはあるけれど、今まで参拝に行ったことはない。
しかし、一度行ってみようと、この本を読んでそう思った。
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